「三度目の殺人」久々の一人映画鑑賞:真実はいつも一つ、ではない、かもしれない。

「三度目の殺人」久々の一人映画鑑賞:真実はいつも一つ、ではない、かもしれない。

夫に子供を託し、久々に一人で映画を観に行きました。
一人で映画館に行ったのは、よくよく思い出してみると、ウディ・アレンの「おいしい生活」を恵比須の映画館に観に行って以来、16年ぶりでした。
当時、東京で研修のため一人暮らしを始めたばかりだったのですが、恵比須に映画を一人で観に行く、だなんて東京の人っぽくてカッコいいやん?
などとオノボリサン全開でウキウキしたのを思い出します。
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三度目の殺人 HPコチラ
 
「真実はいつも一つ!」という探偵少年の決め台詞がありますが、これには違和感を感じます。事実は一つかもしれませんが、真実は、何を「真」とするか、という価値観により見方が変わるため一つとは限りません。「真偽のほど」には「ほど」があり、白黒やら、境界やらが明瞭につけられるものでもありません。
 
親切が大きなお世話になる時もあるよう、恋愛がストーキングになる時もあるよう、その立場により真実は変わるのだと思います。
自分が信じたいように事実を捻じ曲げて真実を誤解してしまうこともあるのだと思います。

むかし、ある国の王さまが町中の盲目の人を集め、大きな象に触らせてみました。すると彼らは、鼻や尻尾・足・耳などの一部分だけをさわって、象の姿を思い浮かべたのです。

 そこで王さまが、象とはどんな動物かを聞かれると、ある者は大蛇のようだと答え、ある者は細い縄(なわ)のようだと答え、またある者は大きな臼(うす)のようだと答えました。

 こうして十人十色の答えが出ると、自分の答えこそ正しいと思い込んでいる彼らは、皆で言い争いケンカを始めてしまったのです。

「盲目の人たちは、象の一部分を知って全体を知らなかったために、言い争いをすることになった。これと同じで、少しの知識だけで何でも知っていると思い込んだ者が、世の中には大勢いる。そういう者たちと言い争ってはならないよ」

 お釈迦さまは、そのお弟子をこのように諭(さと)されました。

 仏さまのこばなしより引用 コチラ
 
あの時の自分が真実だと思ってたことは、今考えると真実でなかったかもしれない。
解釈や立場、視点を変えれば事実はもっと違うように見えたかもしれない。
などと、過去に思いを馳せながら、久々のレイトショーを楽しんだのでした。
 
今、私に見えている現実も、違う視点から見たら違う真実が見えるのかな?
 

福岡大学博多駅クリニック

西田美穂

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